日本農薬株式会社 「農業 × 人材 × 未来」 RECRUITING

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社長インタビューTop Interview 社長インタビュー「世界視点で見る農薬ビジネスの未来とキャリア」

社長インタビュー「世界視点で見る農薬ビジネスの未来とキャリア」

友井 洋介/代表取締役社長/大学院時代の研究テーマは植物病理。その研究成果を活かすべく日本農薬に入社。研究開発職を経験後、海外企業とのクロスライセンスの業務に従事し、以来、海外事業展開のキーマンとして世界を駆け回る。営業部門や経営企画での経験及び実績を活かし、2015年12月より代表取締役に就任。趣味はテニスとゴルフ。大学時代、コーラス部で鍛えたテノールは今でも健在。

profile 友井 洋介代表取締役社長 大学院時代の研究テーマは植物病理。その研究成果を活かすべく日本農薬に入社。研究開発職を経験後、海外企業とのクロスライセンスの業務に従事し、以来、海外事業展開のキーマンとして世界を駆け回る。営業部門や経営企画での経験及び実績を活かし、2015年12月より代表取締役に就任。趣味はテニスとゴルフ。大学時代、コーラス部で鍛えたテノールは今でも健在。

Chapter 1/農薬ビジネス原論 Chapter 1.農薬ビジネス原論

農薬メーカーで働くということ

皆さんは、農業を自然の営みだと考えているかもしれませんが、実は自然の摂理に反することなのです。植物というのは元々雑多に生えていて、その中から人間が食べたいものを選抜し、一箇所に集めて作る。たとえば、稲を一箇所で生産しようとすると、当然他の雑草も生えて、競合するし、稲を好む虫も集中しますので、稲だけを育てようとすると、やはり人工的にコントロールしていかなければならないんですね。そこで必要なのが「農薬」です。農薬がなければ、人が食べられるだけの作物を効率的に作ることはできません。ものすごく単純なモノの言い方になりますが、農薬は人類の生存にとって不可欠なものであり、農薬メーカーはその不可欠なものを作っている。まずそう言えます。

人口増加と農薬

人口の問題に関して言えば、世界人口は今後も増加の傾向をたどる一方、耕地面積はブラジルなどを除けば砂漠化現象の影響もあってそれほど増えていかないと予想されています。そこで焦点が単収(単位面積あたりの収穫量)に向くのですが、これを増やすためには、施肥や機械化などの農業技術の革新と、何より欠かせないのが農薬の存在で、これがないと今後予想される人口増大を支える作物生産はできないと言われています。

一方、食料を安定的に生産するためには、遺伝子組み換えなどで元々害虫に耐性をもった植物であるとか、除草剤を解毒する遺伝子をもつ作物を作るなどの方法も増えてきています。世界の中で、農薬の市場は約6.9兆円と試算されていますが、それに加えてこうした遺伝子組み換えに関する技術と種子ビジネスの市場が2兆円弱もあります。つまり重要なポイントは、農薬を始めとする作物保護ビジネスは地球を舞台とした巨大市場であるとともに発展性もあるということです。

Chapter 2/海外事業の歩み Chapter 2.海外事業の歩み

直販への道のり

私の海外事業に関するキャリアの入口は、農薬のライセンスに関する仕事でした。医薬でも農薬でも、1社単独で色々な病気、害虫に効くものを作るのは至難の業なので、多くの会社の薬剤を組み合わせてポートフォリオを完成させるのですが、このクロスライセンスの仕事を4年程やりました。
次に異動したのは海外部です。私の配属時には5~6人の小所帯でしたが、この頃既に「日本農薬を世界に通用する会社にしたい」と強く想うようになりました。その時意識したのは、外資に頼まざるを得ない現状がある中でも、自前でできることは自分たちでやること。また外資などの提携先との交渉なども商社抜きで自前で行う、この2点でした。

アメリカ現法の設立

20代の後半には、会議や出張で年に数回は海外に出かけていました。そして、世界一の農薬マーケット、アメリカに駐在したのは、39歳の時です。当時、日本農薬は、自社製品を主に多国籍の外資企業にライセンス供与して販売していたのですが、やっていくうちに、まずはライセンスを自社に取り戻して自前でやりたいと思うようになり、駐在事務所を現地法人化してまず自前で登録を保有することから始めました。当時、本社に直販を提案したところ、PL(製造物責任法)による訴訟の多いアメリカで何を血迷ったこと言っているんだと反対されましたが、皆の努力の甲斐もあって2001年には遂に直販を実現しました。このアメリカ時代は、今でも印象に残っていることがたくさんあります。たとえば、当時はまだカーナビが普及していなくて、地図を見ても目的地がわからない時があるんですが、現地の連中は、「男は道なんか聞いたらいかん」「自分で道を探すべきだ」と言って誰にも尋ねずにどんどん行っちゃう。もちろん、「やっぱり誰かに聞いておけば良かったじゃないか!」となることも数え切れないほどありましたが、とにかく「何でも自分で考える」「自分で道を切り開く」というフロンティアスピリットが重要だと知らされたのです。人が聞けば他愛のないことに聞こえるかもしれませんが、彼らには色々と感化されました。

中国市場へ、そしてM&A

98年の半ばに日本に帰国し、それからアジアの営業統括を2年程担当しました。当時、中国市場も拡大していましたし、当社製品の自前での普及・販売が課題でしたので、すぐに現地の中国人と日本で受け手となる商社出身の人を雇って、現在の日農上海商貿有限公司(会社)の前身をつくりました。それが1999年から2001年のことです。

その後、私は希望していた社長室の経営企画部に配属となりましたが、当時の日本はすべての業界に業界再編の動きが活発化し、農薬業界も例外ではありませんでした。そうしているうちに、2002年の3月には三菱化学の農薬部門の買収案件が持ち上がり、続けて某外資系企業が日本で買収した会社を売却したいという案件が持ち上がりました。結局、私たちは、その2つの案件を同時並行で進め、最終的には締結に至るのですが、このM&Aによって、研究開発力と自社特許品を大幅に拡大することができました。この2件のM&Aは、日本国内において行われたものですが、研究開発から製造販売に至る一貫プロセスを強化できたという意味で、その後のグローバル展開の大きな礎を築いたと言えると思います。

グローバル化の達成度

市場をグローバルに求める会社としては、まだやっと入り口に立ったかな、というところですね。山登りにたとえれば3合目ぐらいにいるという感じでしょうか。でも皆さんには、達成度が低いほど、活躍舞台も広いし、チャンスもたくさんあると考えてほしいものです。振り返ってみれば、海外部門でのスタートは、5~6人でしたが、現在は本社だけで30人以上います。当社が直接雇用している外国人も70数名位いるので、彼らをいかに活躍させるかのグローバルなガバナンスもきちんとやっていかなければなりません。とにかく、キャリアを磨くための仕事は山のようにあるのです。

Chapter 3/グローバルキャリア Chapter 3.グローバルキャリア

求める人材「グローバル人材」とは

多様性を理解・享受できる人です。国が違えば習慣は違いますから、その違いや価値観を理解しないと物事は始まりません。多様な考え方を理解し、なおかつ原理原則となる考え方を大事にしながらそれを事業に活かしていける人材です。
そのためには、まず、何でもやってやろう、と思うことが一番じゃないでしょうか。
自分が何を考えているのかを意識して、相手に表現するようにして欲しいですね。何事も「あなた決めてよ」ではなくて、自分自身が何をしたいのかを意識して欲しいな、と思います。

また、会社を安定性だけで選ばない方が面白いと思いますね。チャレンジしては失敗し、の繰り返しが成長に繋がる。最近では「会社で偉くなりたい」と思う人が少なくなってきているみたいですが少なくとも「わくわくする仕事がしたい」と思うのであれば、会社の規模とか安定などで選ばず、どのような特徴がある会社かという点を見たほうが良いのではと思います。

社会に入ってみたら、今までの狭い世界から出て価値観も広がるし、本当は自分に何が向いているのか、何がしたいのかなんてわからなくなってくる。型にはまらず、いろいろなことにチャレンジすることによって、良いキャリアと人生を切り開いていってもらいたいと思っています。