日本農薬株式会社 「農業 × 人材 × 未来」 RECRUITING

ENTRY Sitemap in English MENU MENU

ブイゲット誕生秘話Vol. 1 Secret Behind the Discovery of V-GET

 他の多くの産業と同様、欧米資本が世界市場を席捲してきた農薬業界において、日本農薬は市場競争力のある「独自の製品」を生み出す研究開発型企業として、そのプレゼンスを高めてきた。ここで紹介するのは、日本農薬が研究開発型企業としての証である殺菌剤「ブイゲット」の誕生から大きく成長するまでの道のりである。イネの病気のなかでも古来より大飢饉の引き金となり、近年でも数多くの有効薬剤が開発されているにもかかわらず、周期的に大発生を繰り返してきた「イネいもち病」。2003年、日本農薬は、その「イネいもち病」に優れた防除効果を発揮する「ブイゲット」の独自開発に成功。総合研究所が一体となって開発に取り組み、初の組織横断プロジェクトとして「プロジェクトV」チームが発足。最速・最大化をミッションに「ブイゲット」の普及販売に乗り出す。
 その成功の裏にある、プロジェクトに携わった社員の情熱と並々ならぬ努力に迫る。

Chapter 1化学構造のおもしろさから誕生した「ブイゲット」

イネいもち剤「ブイゲット」の元となる化合物が最初につくられたのは、93年のことである。事の発端は、ある化学研究員が、別の研究員がつくった化合物を「これを原料に何か合成できないか」と考えたことだった。その用途を探りいろいろ合成していくうちに、あまり目にしたことのない個性的な形をした化合物に遭遇。その合成方法自体は数十年以上前からあり新しいものではなかったが、化合物の構造そのものが特殊で面白いものだった。それに加えて、いろいろな形のものができそうな合成法も魅力的だった。その時点では、具体的なテーマこそ見出されていなかったものの、その化合物の可能性に賭け、改良が重ねられていった-。

化学構造の面白さから端を発した研究は、その後、思わぬ広がりを見せることとなった。病害抵抗性を誘導する、植物が本来持っている「病気を治す力」を引き出す薬剤になるのではないか。そう考えた化学研究員は、生物研究所(当時)にそのような薬効を評価する方法がないかどうか相談を持ちかけ、生物研究員とともにいくつかの病害について評価系(スクリーニングシステム)の構築を始めたのである。合成をしては評価を行う。そして、その結果をもとに合成を行う―というサイクルを繰り返していたが、一向に仮説を裏付けるような結果が出なかった。そのとき、合成した化合物は優に100を超えていたという。

そうこうするうちに、実験を行っていた当人が転勤。その化学研究員の上司であった津幡は、当時をこう振り返る。「半年以上もほとんど何の活性も得られずに実験を続けている状況でしたので、正直な話、もうやめようかなと思っていました」。ところが、しばらくして生物研究所から「イネいもち病を抑える素晴らしい力を持った化合物が見つかった!」という知らせが入ったのである。半ば諦めかけていたところだっただけに、突然の朗報に喜ぶどころか、津幡は半信半疑のままその結果をみつめるのであった。

「たくさん合成したうちの一つだけ効果があったのですが、当初は、なぜその化合物が効いたのかが分かりませんでしたね。しかし、よくよく考えてみると、イネいもち病を抑える力を持つ化合物をつくりだす道筋が見えてきたんです」と津幡はいう。実は、抵抗性誘導という着眼点はよかったが、どの部分が作用するかという仮説が間違っていたのである。そこで、もう少しつくって確認をすることになった。生物研究所から結果が返ってくるまでは確信が持てずにいたが、予想は見事に的中。合成したものが、軒並み活性が出るという快挙を成し遂げたのである。「それでも2回ほど試して、ようやく安心しました」と懐かしそうに津幡はいう。

農薬研究開発から販売までの流れ

探索ステージ 開発ステージ 製品化ステージ 普及・販売ステージ
リード化合物
探索・選抜
生物性能評価 委託試験 製品化、技術資料作成 販売、普及促進
初期安全性評価 安全性評価 登録申請/登録 適用拡大・混合剤検討
製剤検討 製剤・プロセス・プラント検討 製造検討(原体・製品) 製造

Chapter 2世の中に貢献できる農薬を作りたい

化合物を最初につくってから約1年後の94年、農薬の素となる「リード化合物」の選抜に成功。このリード化合物は、植物病原菌を直接殺すのではなく、イネが本来持っている病害防除機能を高めるというユニークな性質を持つ。山本は、成功の要因は日頃からの試験系改善があったからではないかと、分析する。「しっかりした評価系を作ってなかったら、見逃していたかもしれません」。というのも、化合物がつくられた1993年より以前に、日本農薬では、イネいもち病に対する抵抗性誘導剤のスクリーニングを整備していたのである。

一方で、市場背景には、イネいもち病の防除方法の変化があった。これまでイネいもち病の防除は、箱に植えたイネに散布する「箱処理」、イネが大きく育ってから散布する「本田処理」が行われていた。しかし、労力のかかる本田処理は、日本の農業従事者の高齢化が進むにつれ減少し、箱処理が飛躍的に増えていったのである。当然ながら、農薬メーカー各社はこぞって箱処理剤の開発へと向かう。その後、他社の長期持続型の箱処理剤の委託試験が開始。将来的にイネいもち防除の中心となりうる技術と判断した日本農薬も本格的に、イネいもち病防除剤の開発に取り組むことになったのである。しかし、抵抗性誘導剤の評価は、植物が本来持っている防御機構を高めることで効果を発揮することから、温室内だけではなく、最終的に圃場の実際のイネを使って見極める必要があり、そのことが後になって大きく圧し掛かる。

95年に本田処理剤として高い性能を持つ化合物を選抜した後も、市場の一歩先を見据え、箱処理剤向けの開発が続けられていった。「本田にも箱にも使用できるという剤という点が大きな壁となりましたね。というのも、箱処理の場合は持続性、本田処理では速効性という対極にある効能が求められていましたから」と山本はいう。その他にも、安全性やコストなど、クリアしなければならない課題は山積みだった。合成、生物評価、安全性試験、製剤……とすべてが同時平行で進まなければならなかった。しかし、幸いにもその年の暮れに、合成・生物・安全性といった研究所が現在の総合研究所(大阪府河内長野市)に統合したことが奏功し、さまざまな分野の研究者が連携して開発に取り組むことができるようになった。

その翌年96年に、箱にも本田にも使用できるブイゲットの有効成分である「チアジニル」の選抜に成功。しかし、「待望の新剤ができる!」という喜びもつかの間、実用化に向けた課題が残された。その最も大きな課題が「製剤化」であった。「早く形にしなければ」というプレッシャーの中、全力で課題に取り組む日々が続く。「通常は100処方もつくれば満足のゆく製剤ができますが、ブイゲットの開発では、その10倍以上の処方をつくったんじゃないでしょうか」と青地はいう。製剤をつくっては温室内で評価し、その結果を見ては製剤をつくる、という作業が繰り返された。ようやく圃場で評価ができると安堵したのも束の間、数ヵ月後、圃場で愕然とすることもあった。いつのまにか、試験区に散布した製剤の数は区画数で1000を遥かに超えていた。
「いったい、いつまで続くのだろうか」と天を仰いだのは青地ばかりではなかっただろう。そんな彼らを支えていたのは、「世の中に貢献できる農薬をつくりたい」と思う気持ちだった。

こうして数々の試練をくぐり抜け、リード化合物の選抜から約9年後の03年に、ようやくブイゲットの販売が決定した。ブイゲットは、開発に携わったすべての人の思いとアイデア、技術、そして労力が凝縮された結晶となった。

葉いもち剤普及面積推移(参考文献:農薬要覧、農薬工業会資料)

Chapter 3さらに優れたものへと挑戦は続く

ただ話はこれだけでは終わらない。研究開発に約10年もの月日をかけ、絶対の自信を持って世に送り出したブイゲットの真価が問われる時が来たのだ。ブイゲットは、ユニークな作用性が魅力であり、散布適期幅の広さという点でも大きく成長する可能性を秘めていた。しかし、どんなに優れた薬剤であっても、市場で認知されるかどうかはその後の普及販売活動に懸かっている。社内の誰もが注目するなか、総力を挙げて取り組んでいこうと、全社的な普及販売体制づくりへの準備が着々と進んでいった。

とりわけ、注目すべきは05年にブイゲット剤の最速かつ最大化を図るべく、部門を越えた全社的なプロジェクトチーム「プロジェクトV」が発足したことだ。組織横断的なチームを編成することは異例のことだった。「プロジェクトV」に課せられたミッションは、市場競争力を高めるための「独自ラインナップの強化」、そして市場の裾野を広げるための「販売ルートの拡充」の二つ。積極的に攻めていこうとする姿勢のもと、混合剤の開発や大型規格品の生産、重点販売店との関係強化をめざした「ブイゲットパートナー会」の結成、系統一元品目を設けて系統ルートの拡大を図るなど、新たな試みが次々に行われていった。特に、普及販売場面においては、かねてから営業本部で取組んでいる地域密着営業体制との相乗効果で、流通から使用者である農家へのスムーズな情報提供が滞ることなく行われた。「特長ある作用性を現場に伝えたいという強い思いをメンバーの皆が持っていましたね」と中村はいう。

2003年より試験販売がスタートし、ブイゲットは順調に売上を伸していたが、発売2年目となる05年、全国の水稲地域の10%を占めるほどの飛躍的な伸びを見せた。「うまく追い風に乗れたことが、爆発的なヒットを生んだ理由じゃないでしょうか」と西村はいう。サンプル提供などの地道な普及活動から、販売網の整備・強化、情報発信などありとあらゆる手段を講じて、普及に努めた結果であった。なかでも、前年比50倍の売上という驚異的な数字を出したのが、山形県。JA(農協)への売り込みを重点的に行い、試験的に使ってもらうよう働きかけた結果、「効果が良い」、「安全性が高い」といった評価を数多く得ることに成功。その試験結果をもとに近隣のJAにもアプローチを仕掛けたことによりブイゲット剤が防除暦(JAの取扱品目を載せた注文書)に次々に採用され、その活動がブイゲット剤の飛躍的な普及拡販につながった。

その後もブイゲットは着実にシェアを拡大し、現在では国内シェア15%、1剤で約20億を稼ぐ日本農薬の主力製品の一つに育った。とはいえ、これで一安心というわけではない。マーケティングを担当した田嶋はいう。「これからが正念場ですね。ブイゲットに対抗して市場に投入される他社の新しい薬剤への対応もあります。また、さらに省力化が求められていますので、エリアのニーズにあわせた品目の開発を行う必要があります」。現在、ブイゲットは各地域のニーズにあわせ、11品目取り揃えている。隣国である韓国でも箱処理剤シェアNo.1を維持しており、今後の展開が注目されている。

優れた農薬で世界に貢献する。すべてのニーズに応えるべく、裾野の拡大に努める。それが今後の課題であり、開発から販売といったあらゆるステージで最速・最大化を図るため、新たな挑戦は続いていく。