日本農薬株式会社 「農業 × 人材 × 未来」 RECRUITING

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「フェニックス」
海外展開物語
ベトナム進出への
足がかりとなった一手Vol.3 Global Expansion of Phoenix ─ The Key to Our Success in Vietnam

農薬のグローバル展開には、独特の難しさがある。それは、日本の害虫にどれほど効果があっても、販売する国の害虫に効くことを証明した上で、各国ごとに登録しなければ、売ることができないからだ。そして、登録できても、その国に適した販売スキームを構築できなければ、ユーザーである農家まで広く届かないからでもある。ベトナムにおけるフェニックス販売プロジェクトは、後者の壁を見事な戦略で乗り越えた好事例といえる。

Chapter 1思うような成果を出せずにいた

ベトナムは世界有数の農業大国である。コメの生産量は世界第5位であり、輸出量でみればインドに次ぐ3位に位置している(2014年時点)。コメや世界第2位の生産量を誇るコーヒーなどと比べると少ないものの、南部のメコンデルタ地帯では、ナスやキュウリ、トマトといった野菜類の生産も盛んだ。
「これだけの市場ですから、日本農薬も1980年代から進出しています。しかし、80年代、90年代、そして、2000年代はじめまで思うような成果を上げられず、もどかしい思いが続いていた……。それが実情でした」

シプカムニチノーブラジルに出向している内田は、当時を振り返りながらその原因について次のように説明する。
「他社製品がすでに販売ルートをはじめ市場をガッチリと押さえており、その状況をひっくり返すほど画期的な効果が期待できる自社商品がなかったことが原因の一つです。しかし、それ以上に現地の販売会社の課題が大きかったと思います」

ベトナムは社会主義国であり、現地で農薬の販売を請け負う販売会社はほとんどが国営企業だ。会社が潰れる可能性もなく、社員の競争意識が低いため、どうしても販売意欲が高くなりにくい構造があった。加えて、大手販社は、すでに市場に広く浸透している他社製品を筆頭に、多くの薬剤を扱っており、その中から、あえて日本農薬の商品に力を注ぐ必要性も低かった。そのため、フェニックスをベトナムで販売するにあたって、最初の大きな課題となったのが、この販社の問題だった。

Chapter 2いやがおうにも期待高まる
フェニックスの実力

海外で農薬を販売するには、販売する国でさまざまな試験を行い、薬剤としての効果や安全性を証明したうえで、当該国に登録する必要がある。2007年、その登録のためにベトナムで野菜類の害虫に対する効果試験を行っていたフェニックスは、殺虫剤として驚くほど高い効果を示した。
「結果の数値を見た瞬間、『これは売れる!』と。それほどインパクトのある試験結果でした」

当時のことを、こう力強く話すのは、入社1年目の2006年から、上司、先輩とともにベトナムでのフェニックス販売プロジェクトを担当することになった坪田である。
「フェニックスは、水稲、つまりコメにも野菜類にも高い効果が期待できる薬剤で、ベトナムの市場にうまく合致するため、2006年頃から販売に向けて動き出しました。市場規模を考えれば水稲のほうがはるかに大きいのですが、水稲向けの薬剤として登録するには、年2回しか現地効果試験が行えない点から時間がかかるというネックが。そこで、年4回試験を実施できる野菜類で登録してから、水稲へ適用拡大する戦略が採用されたのです」

こうしてスタートしたベトナムでのフェニックス販売プロジェクトは、現地での効果の高さがあらためて実証されたことで、にわかに勢いづくことになった。先行する他社製品と対等以上に戦えることが分かったからだ。

その反面、販社の問題がよりクローズアップされることにもなった。

Chapter 3共に戦える販売会社との出会い

「いくら効果の高い薬剤でも、販社がその気になって販売してくれなければ、先行他社商品が浸透している市場でシェアを獲得できる可能性は低いといわざるをえません」(内田)

そこで、新たな販社を開拓する道を選んだのだが、国営企業が大半を占めるベトナムでは、そもそも選択肢が多くはない。しかも、販売意欲に重きを置くとなると民間企業に頼らざるをえないため、ますます数は少なくなり、企業規模も小さなところに限られた。
「その中で出会ったのが、現在取引している民間企業のC社です。ここは、2003年頃に別の薬剤の販売を検討する際、市場調査をお願いした過去があり、その分析力の高さは知っていました」(内田)

とはいえ、プロジェクトチームがもっとも気にしていたのは、販売に対する意欲である。分析力の高さは大きな武器になるが、それだけではパートナーとしては心もとない。しかも、C社は2001年に設立されたばかりで、販社を探していた2008年頃でも、30名ほどの社員しかいないベンチャー企業に過ぎなかったのだ。
「しかし、そんな不安は、C社を訪れたときに吹き飛びました。ひと言でいうと、熱い。うしろだてのない民間企業であり、かつベンチャーということもあって、社員一人ひとりの仕事に対するモチベーションが非常に高いのです。この意欲と分析力の高さがあいまって、質問を投げ掛けると打てば響くように答えが返ってきます。また、英語が話せる点も、スピードを考えたとき利点になると判断しました」(坪田)

しかし、C社との提携に関しては、社内に疑問の声もあった。
「すでに付き合いのある大手国営企業の方が安心ではないか」
「そんな小さな会社と提携して、与信は大丈夫なのか?」

極めて商品力の高いフェニックスだからこそ、あえて冒険する必要はないというのだ。その意見には一理ある。しかし、ベトナム市場とその課題を熟知していたプロジェクトチームにとって、そういった声は受け入れがたかった。
「当社と同じ温度でフェニックスに全力を注いでくれる会社でなければ、ベトナム市場で存在感を高めるのは難しいと考えていました。だからC社でなければ駄目なんです」(坪田)

その思いのまま会社を説得し、2009年、野菜類におけるフェニックスの登録が認められる直前にC社との提携を実現。さらに現地における情報収集や市場調査の精度を高めるため、現地に詳しい人材を採用してサテライトオフィスを開設するなど、万全の体制構築に力を注いでいった。そのおかげで、フェニックスは販売直後から着実に売上を伸ばしていくことになる。次なる山は、水稲への適用拡大だった。

Chapter 4地道な普及活動で情報を集める

野菜類の登録が認められた直後から水稲への適用拡大にむけた申請準備が始められた。登録に関しては、それほど難しいところはない。しかし、野菜類とは市場規模がまったく違い、競合他社商品も強力な水稲分野に進出するにあたって、販売にはもうひと工夫加える必要があった。
「当社の課題は人的資源の少なさです。販社も小さな会社ですから市場をくまなくカバーするのは、現実的に不可能。となれば、ファーストプライオリティ(優先順位)を決めて、重点的にリソースを投下するしかありませんでした」(内田)

しかし、優先順位を決めるには、圧倒的に情報が不足していた。集めた情報を分析する際の軸も不明瞭だった。そのため、2010年からプロジェクトに加わった前田をはじめとした海外営業担当が汗をかくことになる。ベトナムの民族衣装であるアオザイを着てベトナム各地を回り普及活動を行いながら、薬剤を販売する小売店や農家からさまざまな情報を集めていった。

農薬を販売する際、重要な要素に「普及活動」がある。これは、小売店や農家を集めて、薬剤の効果や使用方法などの技術知識を伝える活動のことをいう。農薬を使用する農家と、彼らに直接販売する小売店における認知度を高めることで、裾野を広げる効果が期待できる。
「普及活動は、小売店や農家さんの意見を直接聞ける貴重な機会でもあります。その機会を無駄にすまいと、それぞれの地区の害虫の種類や年ごとの発生状況、他社商品の効き具合や不満点を聞いたり、他社商品に対する農家さん、小売店それぞれの信頼度や依存度を探っていきました」(前田)

Chapter 5一つの声が突破口になる

営業担当の地道な情報収集活動が1年半を越えようとした頃、気になる話を農家から耳にした。「(他社薬剤の)効きが、この間はあまりよくなかった」というのだ。
「それまで聞いたことのない意見でした。しかも、回っていた地域の中でも、そんな話が聞けたのは、ごく限られた場所だけだったのです。だから、最初は、その意味するところをはかりかねていました」(前田)

ただ、同じ声が聞こえてくる地域が少しずつ増えていくに従って、ある事実が浮かび上がってきた。いずれも害虫が大発生した地域だったのだ。このことが分かってからから改めて情報を分析してみると、競合剤はフェニックスに比べて効果がやや劣っており、かつ、使用面積当たりの使用量も少なく設定されていたため、害虫が大発生したり、一定以上の降雨があった場合、効き目が弱まることが判明したのだ。

この事実に、営業担当が現地で収集した情報を加えることで、「市場の見える化」に挑む。
「販売対象となる地域別に、競合剤に対する信頼度や依存度、当社の普及活動に対する積極性、新しい剤への興味の度合い、害虫の発生状況など、競合剤からフェニックスへ切り替えてくれる可能性を販社、サテライトオフィススタッフとともに徹底的に洗い出していきました」(内田)

整理した情報は、現地の販社やサテライトオフィスへ送って内容に間違いがないか確認することを繰り返した。そうしてブラッシュアップした情報をもとに、今度はプロジェクトチーム内で優先順位をいかに設定するか、喧々諤々、意見を戦わせていった。
「本格的に見える化に取り組み始めてから、ファーストプライオリティが決まるまでは、わずか10日間ほどでしかありませんでした。しかし、その10日は、非常に濃密で、フェニックスの販売の成功につながる貴重な時間だったと思っています」(内田)

入念な検討の末、ベトナム南部のメコンデルタ地帯に位置する各省の中から、水稲農家が多く、競合商品に不満を感じているなど、何らかの理由から新商品への関心が強いエリア。さらに、フェニックスに対する期待度が高いエリアと絞り込んでいった。そこへ人的リソースを重点的に投入することで、まず、水稲分野における確かな実績を築く戦略を採用した。

そのエリアで築いた実績を土台に周辺エリアへ波及させていったのだ。その結果、水稲分野でフェニックスは爆発的な売上をあげることになる。2014年時点で重点エリアに設定したベトナム南部の主要水稲地域14省におけるチョウ目プレミアム剤市場でシェア1位を獲得するまでに成長している。まさに驚異的な普及速度といえるだろう。

ただ、ベトナムにおけるフェニックス販売プロジェクトは、いまだ道半ばに過ぎない。今後さらに適用分野や販売エリアを拡大し、ベトナムにおける日本農薬の存在感を今以上に高めていく必要がある。
そのための戦いが、今もベトナムで続けられている。

変わりゆくベトナム市場に対応し、同国における定番殺虫剤を目指す

2014年までベトナムの米市場は、急激に成長していました。しかし、アジア周辺国の米生産量と輸出量の拡大に伴い、現在は、厳しい競争にさらされています。国内に目を転じると、2013年から安全基準に関するレギュレーションが変わり、ベトナムに現地事務所がなければ、農薬の登録・維持管理ができなくなりました。そこで当社は、2014年11月に現地事務所を開設して、現地販社も増やすなど、販売体制を強化。また、商圏を南部メコンデルタ地域から中部、北部へと広げていくべく、果樹や野菜など対象となる作物の適用拡大やフェニックスの使用方法改善による対象害虫の拡大を推進しています。
ベトナムにおけるフェニックス販売は、登録取得から最重点地域における拡販までの第一期から、定番農薬として定着させるとともに、さらに販売エリアと適用作物を拡大させる第二期に入ったといえます。

海外営業本部 アジア営業部 部長 田中 利朋