働く環境と多様な人財の活躍

Project創薬の道のりをたどる

何よりも人間と環境への安全性を優先で
「オーケストラ」開発ストーリー

16万分の1という確率をくぐり抜けて、新規化合物が農薬として製品化されるまでには幾多のドラマがある。
どれだけ優れた新規化合物であったとしても、安全性をクリアできなければ、決して農薬として日の目を見ることはない。
水稲の主要な害虫であるトビイロウンカが、脱皮して成虫になるのを阻害する画期的な農薬「オーケストラ」も、その例に漏れなかった。
一度は開発中止に追い込まれそうになりながらも、2021年から販売開始となった「オーケストラ」の安全性へのこだわりをご紹介しよう。

「オーケストラ」開発に携わった社員

  • Y.RY.R
    ●当時の所属:研究開発本部 総合研究所 代謝·環境グループ
    ●現在の所属:研究本部 総合研究所 代謝·環境グループ
    ●2006年入社
    ●農学生命科学研究科卒
  • M.HM.H
    ●当時の所属:研究開発本部 総合研究所 安全性·薬理グループ
    ●現在の所属:市場開発本部 登録部 技術グループ
    ●2007年入社
    ●生命科学研究科卒

画期的製品に結びつく
新規化合物候補

「オーケストラ」はウンカだけに限定的な効果を有し、益虫を含む自然界の生物や人間を含む哺乳類への影響の少ない安全性が高い製品として、現在注目を集めている。開発がスタートした2007年当時、欧米を中心に農薬の安全性への要求が高まり、綿密な評価のために多数かつ難度の高い試験が求められるようになっていた。日本農薬でもさまざまな実験評価系を構築して、研究開発中の化合物について綿密な評価を重ねていた。何よりも重視されるのが安全性の高さであり、殺虫剤としての効果を求めつつも、万に一つでも人間や環境への危険性が認められるものは決して製品化されることはない。後に「オーケストラ」になるはずの候補として、1年間に数百の化合物を評価することを数年間にわたって繰り返し、その中から殺虫効果などの生物性能が高い化合物が選抜されていった。さらにそこから、水生生物や哺乳類への悪影響が認められないものが選び抜かれていった。最後に残ったものは土壌中や水中で速やかに分解し、自然環境中に残留しないという点で、環境中での安全性にも優れていることが確認された。選抜された化合物はこれまでにない優れた殺虫効果を見せていた。画期的な新規化合物への期待が高まった。ところがそこで致命的な問題が見つかったのだった。

画期的製品に結びつく新規化合物候補

完成間近で致命的な
危険性が見つかる

さまざまなin vitroスクリーニング系を用いて、哺乳類への影響評価が網羅的に進められる中で見つかったのが、ホルモンの合成に関わる酵素への阻害作用であり、この影響は次世代へのダメージを引き起こす懸念があった。そこで、より詳細な検査を行ったが再び黒の判定が出たため、さらに動物に投与して調べた。動物試験ではin vitro試験とは異なり生体による解毒·排泄作用があるため、化合物の影響も軽減されることが期待されたのだが、動物でも影響が出てしまい、このまま開発を進めることはできないという判断に至った。「悪い結果が出た時に、うまく合成担当者に伝える言葉が見つかりませんでした。担当者の肩を落とした様子が目に焼き付いています」と代謝·環境グループのYは振り返る。合成、生物、安全性のメンバーが急遽集まってミーティングが行われた。問題の化合物は、水稲を害するウンカだけに選択的に効果があるというコンセプトで、数千という候補の中から選抜され、年に一つ出るかどうかの非常に有望視されていた化合物だった。それだけにメンバーからは落胆の声が上がった。中断は大きな痛手で、このままプロジェクトが中止になるかもしれない。「新しい物を生み出したいという強い思いの一方で、安全性の担当者には、問題があるものは絶対に通してはならないという使命もあるので、その点ではとてもつらい思いもありました」と語るのは安全性·薬理グループのMだ。

完成間近で致命的な危険性が見つかる無処理区BPX処理区

化合物の安全性を高めて
再チャレンジ

どのような化学構造にすれば、ホルモンへの影響が抑えられるのか。プロジェクトのメンバーが集まって何度も議論が重ねられた末、新たな化合物の探索が再開された。そして半年後、新しい化合物が再びチャレンジのステージに上がってきた。ホルモン合成への阻害作用はin vitro 試験では消失しており、無事にパスした後、半年間をかけて動物に投与する試験が行われた。より良い化合物を見つけ出すために、途中複数の化合物とも比較検討しながら、メンバーたちは祈るような気持ちで評価を進めていった。そして今度は動物でもホルモンへの影響がないことが確認されたのである。「本当にホッとしました。私たち安全性担当だけではなく合成や生物の多くのメンバーと、毎日のようにディスカッションしつつ進めていたので、同じ研究所内でみんなが顔を合わせて喜び合うことができました」とYはその時の思いを語る。入社以来、化合物の探索では初めて責任者として携わった大型プロジェクトだったというMもこう振り返る。「政府が定めたガイドライン通りにやれば大丈夫ということはなく、試験·評価の進め方で悩むことも多く何度もやり直しました。うまくいったのには、上司や先輩たちから、着目すべきポイントについてアドバイスがあったことも大きかったですね」

化合物の安全性を高めて再チャレンジ

無事に製品が登録されて
インドでも認可

新規化合物を見出しただけでは製品にはなりえない。化合物を水田へ効果的に施用できるようにする製品化に向けても、さまざまな課題を乗り越えながら開発は進められていった。グローバル展開に注力する日本農薬では、世界同時開発も目標としており、この化合物を世界最大の米の生産国であるインドにも展開する計画が進められ、日本とは大きく異なる過酷な自然環境の中で、何度も現地とやりとりをしつつ殺虫効果の評価が行われていた。一方、国内では農薬としての登録に向けて、農水省や環境省に提出する膨大な資料を、登録部門と研究部門が協力し合って2年がかりで作成した。そして厳格な審査を経て登録に至り「オーケストラ」と命名されて販売に漕ぎつけた。インドにおいても気候や政府による規制の違いなどのハードルを乗り越えて無事に登録が完了した。「スタートから10年以上を経て、ようやく形になって登録が認可されたときは、言葉に尽くせない気持ちになりました。環境や人への影響が少ない化合物を生み出したいという思いはより強くなり、現在はより早い段階での評価系の構築などに取り組んでいます」とYは言う。「合成、生物、安全性の各担当が協力してハードルを越えられたのが、とてもうれしかったです。今後も研究所が一体となり、安全性を何よりも重視した製品づくりを通じて、世界の農業に貢献していきたいです」とMも決意を見せる。世界の農業を支えるためにグローバルな視野で10年先、20年先を見据えた開発が、今日も進められている。

無事に製品が登録されてインドでも認可